国内を統一した豊臣秀吉は、文禄元年(1592)・慶長2年(1597)に朝鮮へ出兵しました。諸国の軍勢が海路名護屋城に向かう途中、相島に立ち寄り海岸の石を一個ずつ持って千手観音像に航海安全と戦勝の祈願をしました。その積み上げられた石の山を、太閤塩井の石と呼んでいます。
国内を統一した豊臣秀吉は、文禄元年(1592)・慶長2年(1597)に朝鮮へ出兵しました。諸国の軍勢が海路名護屋城に向かう途中、相島に立ち寄り海岸の石を一個ずつ持って千手観音像に航海安全と戦勝の祈願をしました。その積み上げられた石の山を、太閤塩井の石と呼んでいます。